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高松高等裁判所 平成7年(う)60号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、辞任前の弁護人曽我部吉正作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官桜井浩作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、被告人は、自動車運転の業務に従事していたものであるが、平成四年五月九日午前三時一〇分ころ、大型貨物自動車を運転し兵庫県西宮市塩瀬町名塩字丸尾所属中国縦貫自動車道上り二五・〇キロポスト付近道路を岡山市方面から大阪市方面に向け進行中、先行するA(当時四三歳)運転の大型貨物自動車に追従するに当たり、同所は下り坂で、降雨のため路面が濡れていた上、高速道路交通警察隊長が最高速度を五〇キロメートル毎時と指定していたのであるから、右最高速度を遵守すべきはもちろん、適宜速度を調節して道路状況に応じた進行をするか、敢えて同車に追従する場合には、同車が急激な動静をしたときにも同車との衝突を避けうるだけの必要な車間距離を保有して運転進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同車と約一九メートルの車間距離を保ったのみで漫然時速約一三〇キロメートルの高速度で進行した過失により、同車が前方で横滑りしたため衝突の危険を感じ、右転把・急制動の措置を講じたが間に合わず、自車左前部を右A運転車両右後部に追突させ(以下、これを「第一次衝突」という。)て同車を左前方に押し出し、同車前部を道路左側のガードロープ支柱等に激突させて、安定を失った同車を回転させながら滑走させて更に同車後部を同ガードロープ支柱等に激突させた上、自車の進路上に滑走してきた右A運転車両右側面部に自車左前部を衝突させ(以下、これを「第二次衝突」という。)、その間の衝撃により右Aを運転席から路上に転落させて自車左後輪で同人を轢過し、よって、同人に頭部打撲兼顔面切創の傷害を負わせ、即時同所において、右傷害により死亡するに至らしめた旨認定したが、第一次衝突の事実はなく、第二次衝突の事実はあるが、Aはその時点ではガードロープ支柱等との衝突により既に死亡していたから、この点において、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

そこで所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、以下に説示するとおり、第一次衝突の事実は優に肯認することができ、右衝突がなかったという論旨は理由がないが、右衝突がその後のA車のガードロープ支柱等への激突等の原因となったことについてはその証明が十分であるとはいえず、Aが第二次衝突前までにそれまでの同車のガードロープ支柱等への激突等により既に死亡していた可能性も否定できないから、結局、被告人の行為とAの死亡との間の因果関係を認めることはできず、これを肯定した原判決は事実を誤認したものといわざるを得ない。

一  すなわち、記録によれば、本件事故現場は、兵庫県西宮市内のいわゆる中国縦貫自動車道であり、対向車線とは中央分離帯により完全に分離された片側三車線の高速自動車道であって、被告人の進行方向からは下り坂となっていること、現場付近の指定最高速度は毎時八〇キロメートルであるが、事故当日は激しい雨と事故の多発に伴い高速道路交通警察隊長の規制により最高速度を毎時五〇キロメートルに制限されていたこと、当時は、その約一時間前に本件事故現場の約二〇〇メートル東方で発生した別の交通事故により上り車線のうち最も右側の追越車線が通行規制されていたこと、被告人とAは同じ運送会社に勤めるトラック運転手で、事故当日、Aが運転する大型貨物自動車に被告人が運転する大型貨物自動車が追従して本件道路上り車線を岡山市方面から大阪市方面に向けて走行し本件事故現場に至ったこと、本件事故の結果、被告人車は、左前部が大きく凹損、左側助手席ドアは脱落、助手席後部の荷台前部の高さ一五センチメートルの位置に衝突痕、これに連続するようにして荷台左側面には前部の高さ一五七センチメートルの位置から後部の高さ一一四センチメートルの位置に至るまで金属製様のものによるほぼ直線状の擦過・凹損痕、荷台左側面の後部には高さ三六〇センチメートルにわたって縦一面に凹損・擦過痕等の損傷を生じ、A車は、前部は原形をとどめないほどに破損、右側運転席ドア開放曲破損、左側助手席ドア曲損、荷台右側のサイドバンパーの中央部分が車体内側に向けて曲損し、その上側のサイドパネルにも擦過・凹損、荷台後部の左扉が脱落、荷台後部右扉の取付部分に衝突痕等の損傷を生じていること、また、本件道路上には上り二五・〇キロポストの東方一三・三メートルの中央車線上から路側に向かう長さ二五・五メートル及び二二・六メートルのタイヤ痕二条が印象され、その終末付近(二五・〇キロポストの東方四一・〇メートル)から一四・〇メートルにわたりガードロープ支柱四本が凹損・曲損し、水銀灯も東方に倒れ、二五・〇キロポストの東方五六・二メートルの路側帯境界線付近から中央車線に向かい弧を描くような長さ一四・五メートルのタイヤ痕、二四・九キロポストの西方三一・〇メートル、二七・〇メートル、二三・〇メートル地点のガードロープ支柱三本が曲損し、その北側の遮音壁も脱落、さらに二四・九キロポストに固定のガードロープ支柱及びその東方のガードロープ支柱二本が曲損し、付近の水銀灯が欠落し、そのすぐ東方にA車がガードロープに乗り上げて停止していたこと、被告人車は七七・五メートルのタイヤ痕を残して二四・九キロポスト東方九三・〇メートルの路側帯と第一走行車線(左側車線)の間に停止していたこと、Aは本件事故の間に車外に放り出されて被告人車の左後輪で轢過されたことが認められる。

二  以上のような本件事故の事故痕跡等から、名古屋地方検察庁総務部採証課理化学採証係長牧野隆は、本件事故は、A車に追従して進行していた被告人車の左前部がA車の荷台右後部に追突し(第一次衝突)、A車は路上にタイヤ痕を残しながらガードロープに向かって滑走してその前部を衝突させ、その衝撃で弧を描くように回転しながら進行して荷台左後部をガードロープ等に激突させ、さらに回転しながら進行中に被告人車の左前部がA車の荷台右側面に斜めから衝突し(第二次衝突)、その直後に被告人車の荷台左側面とA車の荷台後部右端が接触し、A車は再びガードロープ等に衝突してこれに乗り上げて停止し、被告人車は長さ七七・五メートルのタイヤ痕を残しながら走行して停止したものと推定し、当審鑑定人中原輝史も、ほぼ同様の推定をしているが、これらの鑑定は前記事故痕跡ともおおむね符合し、合理的なものと認められる。

すなわち、A車の荷台後部右扉の取付部分の衝突痕は、被告人車の塗料と同色の緑色塗料が付着し、その最下部の取付金具が前方外側の方向にはぎとられるように曲損し、付近の右側面のアルミパネルも外側に膨らんでいるなど、ガードロープ等の道路施設との衝突によって生じたものではなく、後方からの追突痕と考えられ、一方、被告人車の左前部の損傷はおおむね後方に押し込まれるような形態を示しており、同部分がA車荷台右後部と衝突したものとして矛盾がなく、かつ、被告人車がA車以外と衝突した形跡は全くないことからして、右追突の生じた時点はともかくとして本件交通事故の過程の中に第一次衝突の形態による衝突があったことを疑う余地はない。次に、A車の前記各サイドバンパー及びその上部のサイドパネルの損傷は、内側に押し込まれるようなその損傷状況からして被告人車の左前部との衝突により生じたものであり、A車サイドパネルの損傷部位に被告人車の緑色塗料がほとんど付着していないことなどからして、その衝突時点は、前記被告人車左前部のA車荷台右後部への追突により被告人車左前部の緑色で塗装されたフロントパネルが脱落した後であると考えられる。また、被告人車荷台の左側面後部の高さ三六〇センチメートルにわたる凹損・擦過痕は、その形状からみて、前記のような被告人車左前部のA車荷台右側面への衝突の直後に両者が並行するように接触した際、A車の荷台右後部により形成されたものと認められる(なお、被告人車荷台左側面の前記直線状の擦過・凹損痕については、中原鑑定では第一次衝突直後にA車後部右扉の取付金具の擦過により生じたものと推定されているが、右推定にはなお疑問の余地もあり、右損傷の原因は不明である。)。以上のとおり、被告人車とA車は第一次衝突、第二次衝突の順序で衝突をしたものと認められるところ、中原鑑定によれば、被告人車のタコグラフ(写し)を解析した結果、被告人車は急制動をかけてタイヤがロックされた時点から約〇・七三秒後にその前部に衝撃を受けてタコグラフに異常振動を記録していることが認められ、これは第一次衝突によって生じたものに他ならないから、その時間的経過に照らしこの衝突がA車が最初にガードロープ等に衝突した時点の後に発生したものとは考え難く、被告人が捜査段階で供述しているとおり、A車のガードロープ等への衝突以前に発生したものと認められる。

これに対し、被告人は原審及び当審において第一次衝突はなかった旨所論にそう供述をしているが、前記説示した諸点に照らして信用できない。また、被告人車の後方を走行していた原審証人Bは第一次衝突を見ていない旨証言しているが、突然発生した前方の事故に巻込まれないように回避動作に集中していた同証人が事故の経過を細大もらさず視認、記憶していないとしても格別不自然なことではなく、加えて、後記のとおり、第一次衝突が比較的軽微なもので、これにより両車の進路等に大きな変化がなかったとすれば、このような追突をその後方からはっきり確認し難いとも考えられるのであって、右証言によっても第一次衝突がなかったものということはできない。

また、所論は、第一次衝突がなかったとする根拠として、高山資料解析研究所長高山昌光作成の鑑定書に基づき、これをふえんして、被告人車及びA車の本件事故直前の速度を時速一二〇ないし一三〇キロメートルであるとし、仮に第一次衝突が発生し、その後第二次衝突地点で両者が再び衝突した場合、その間にA車はガードロープ等への衝突により大幅な減速をしているから、被告人車も同様に急激な減速をする必要があるところ、そのような減速を示すタイヤ痕等は全くなく、かえって第二次衝突以後に被告人車は七七・五メートルに及ぶタイヤ痕を残して停止しており、このような矛盾は第一次衝突を仮定したために生じたのであるから、第一次衝突はなかったものといわざるを得ないというのである。しかし、所論のいう高山鑑定は、A車の速度の推定が困難であるためこれを一定の減速度で減速したものと仮定して第一次衝突地点と第二次衝突地点との間の所要時間を算出し、これをもとに被告人車の第一次衝突地点と第二次衝突地点との間、第二次衝突地点以後の減速度及び路面との摩擦係数を算出したところ、前者の摩擦係数は湿潤路面における全制動時のそれに相当する〇・四三ないし〇・五一、後者のそれはほとんど制動をかけていない〇・〇九ないし〇・一一(もっとも、当審証人牧野隆の証言によれば、後者の数字には計算誤りがあり、正しくは〇・一八ないし〇・二二であると認められる。)となるが、被告人車によるタイヤ痕は第二次衝突地点以降にしか存しないから、第一次衝突を仮定することは不合理であるというのであるが、当然ながらA車は現実には等減速運動をしたわけではなく、とりわけA車は最後にガードロープに乗り上げて停止しているのであるから、高山鑑定では停止直前のA車の速度を無視することとなり(ちなみに中原鑑定では停止直前のA車の速度は時速四二・五キロメートルと推定されている。)、これを前提とする推論にも一定の限界があるといわざるを得ないのであって、両車の損傷痕及び被告人車のタコグラフの異常振動記録等に基き第一次衝突があったとする前記判断を左右するものとは認められず、所論は採用できない。

三  以上説示したところによれば、本件事故が原判決認定のような形態で発生したことは、第一次衝突がその後の本件事故の原因となったとする点を除き証明十分というべきであるが、さらに進んで第一次衝突とその後の本件事故過程との因果関係について検討することとする。

ところで、被告人の捜査段階における供述によれば、被告人は、A車に追従して同車とともに最も右側の追越車線を走行していたが、同車が急ブレーキをかけて減速し左方に進路変更したため、被告人も同様に減速して左方に進路変更したところ、その直後にA車が突然後部を右に振ったため衝突を回避すべく急ブレーキ(これに近いブレーキという供述もある。)をかけて右転把したが間に合わず衝突したというのであるが、右供述は、前記B証人の証言とも矛盾せず、前記のとおり進路前方で通行規制がされていたことなどとも符合し、本件事故の発生に至る経過として特に不自然なところはないから、信用できるものと認められる。そうすると、A車は第一次衝突の前から急ブレーキ及び左転把のために車輪がスリップし操縦の自由を失ってガードロープの方向に滑走していた疑いが強く、第一次衝突の存在のみからは直ちにその直後のA車のガードロープ等への衝突もこれに起因するものと認めることはできない筋合いである。

そうして、中原鑑定は、本件事故の過程における被告人車及びA車の速度をタコグラフの解析を基礎に推定しているが、これによれば、第一次衝突直前の被告人車の速度は時速一二二・三キロメートル、A車の速度は時速一一八・九キロメートルであって衝突時の相対速度は時速三・四キロメートルであり、第一次衝突により両車は運動量(及び運動エネルギー)を交換し、第一次衝突後両車ともに時速一二〇・六キロメートルになったものとしている。もとより、タコグラフに基礎を置く推定といえども、中原証人も認めるとおりそれなりの誤差はあり得るものであるが、前記のような被告人車のタコグラフの異常振動記録により推定した被告人車の第一次衝突時の速度時速一二二・三キロメートルそのものはかなり正確な数字であると認められ、第一次衝突の際の有効衝突速度は大型車同士の追突の実験データがないため中原鑑定人の経験等から時速二〇キロメートルと仮定し、その後の被告人車とA車の速度変化を推定するとほぼ妥当な結果が得られたので、右有効衝突速度の時速二〇キロメートルに基きA車の第一次衝突直前の速度を算出したところ、前記時速一一八・九キロメートルを得たというものであり、その計算手法は現在一般に行われている自動車工学の事故再現手法にのっとったもので、それなりの合理性を有するものと認められるから、被告人車及びA車の第一次衝突の際の衝突痕跡からしてその相対速度が前記のような時速三・四キロメートル程度にすぎなかったのかなお疑問を払拭し難いところはあるものの、当裁判所としては、これを前提として因果関係の存否を判断せざるを得ないものと考える。

なお、両車の速度については、前記牧野証人が原審においては同人作成の鑑定書中で、当審においては同人作成の意見書中でそれぞれ異なる方法により推定を行っているが、鑑定書での推定は、摩擦係数のとり方が被告人車の場合タイヤ痕のない第一次衝突前のそれを〇・四、タイヤ痕を印象している第二次衝突後のそれを〇・二とするなど恣意的であるとの批判を免れ得ず(この点に関する原判決の判断は是認できない。)、意見書での推定も被告人車の第二次衝突後の摩擦係数が〇・一九ないし〇・二六とかなり低い数字となっているほか、前記中原鑑定の計算手法に比し前提をかなり単純化した精度の低い推定となっていることは否定できず、これらの推定をもって前記中原鑑定を覆すことはできない。

そうすると、第一次衝突によって、A車は時速一一八・九キロメートルから時速一二〇・六キロメートルへと時速にして一・七キロメートル増速されたにすぎないのであり、これは衝突前の速度のわずか約一・四パーセントにとどまるのであって、この程度の衝撃は、これがA車の重心位置の右方に作用したもので同車を左方のガードロープへある程度向ける働きを有するものであることを考慮に入れたとしても、前記認定のようにA車が既に操縦の自由を失いガードロープに向けて滑走していたことをもあわせみれば、その後のA車の進路に因果関係を肯定するに足りるだけの影響を及ぼしたものとするにはなお証明が十分でないというべきである。もとより、第一次衝突がAの身体にある程度の衝撃を及ぼし、あるいは狼狽させるなど身体的、精神的な影響を生じさせるものであることは十分に考えられることであり、このことがその後の本件事故の展開にそれなりの影響を及ぼしたとみてもそれほど不自然なことではないが、前記のような両車の相対速度等に照らし、なおその存在を認めるに足る証明がなされているとはいいがたい。そうして、Aの死因については、医師米田登美雄作成の創傷診断書等によれば、A車が最初にガードロープ等に激突して回転しながら滑走する間に、同人が車外に放り出された際に、同車の窓枠等又は路上等に激突したことにより頭部を打撲して死亡した可能性が高いと認められるから、結局、第一次衝突がその原因になったということはできず、第二次衝突及び被告人車によるAの轢過がその原因であると認定することもできない。

以上説示したとおり、本件公訴事実は、被告人の行為とAの死亡との間の因果関係については証明が十分でないこととなるから、これがあるものと認定して被告人に対し有罪の言渡しをした原判決は事実を誤認したものであって、この事実の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであり、破棄を免れない。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書を適用して当裁判所においてさらに次のとおり判決することとする。

本件公訴事実の要旨は、前記原判決が認定した事実と同旨であるが、前記説示のとおり犯罪の証明がないこととなるから、刑事訴訟法三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中明生 裁判官 三谷忠利 裁判官 山本恵三)

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